脈を打たない「チタン製の心臓」を移植した男性、生存100日超 | ギズモード・ジャパン

昨年、人工心臓の移植手術を受けた男性が、無事退院したことが明らかになりました。人工心臓移植手術において、退院というプロセスまで進んだのは今回が世界初。機械の心臓手術を行なったのは、オーストラリアはシドニーにあるセント・ヴィンセント病院の医師チーム。心臓移植手術は昨年11月でした。複数の心臓疾患を持つ男性患者に「BiVACOR Total Artificial Heart」というチタン製の人工心臓

「心臓が脈を打たない」と聞くと、多くの人は生命の危機を思い浮かべます。しかし、医療技術の進歩により、その常識は変わりつつあります。2025年、オーストラリアでチタン製の人工心臓「BiVACOR(バイバコア)」を移植された40代の男性が、人工心臓を装着したまま100日以上生活し、世界で初めて退院しました。
この事例は、人工心臓が一時的な延命装置ではなく、生活を支える医療機器へ近づいていることを示しています。BiVACORはどのような仕組みで動き、医療や社会にどのような変化をもたらすのでしょうか。

次世代の全人工心臓「BiVACOR」とは

BiVACORは、生体の心臓を完全に置き換える「全置換型人工心臓(Total Artificial Heart)」として開発された医療機器です。人の拳ほどの大きさで、主な素材には軽量で耐久性の高いチタンが使われています。最大の特徴は、左右の心室の役割を1つの回転装置で同時に担う、非常にシンプルな構造にあります。

BiVACORの基本的な特徴

  • 全置換型人工心臓:左右の心室をまとめて置き換える構造です。
  • 素材はチタン:軽くて丈夫な金属で、医療分野でも実績があります。
  • 部品点数が少ない設計:構造を簡単にし、故障リスクを下げています。
  • 小型化を重視:体格の小さい患者への適用も想定されています。

従来の人工心臓は、複数のポンプや可動部品を組み合わせる構造が一般的でした。その結果、装置が大型化しやすく、部品の摩耗や故障が長期使用の課題となっていました。BiVACORは部品点数を減らすことで、小型化と耐久性の両立を目指しています。この設計により、体格の小さい患者にも適用できる可能性が広がりました。

脈が出ない「連続流ポンプ」の仕組み

BiVACOR人工心臓は「連続流ポンプ」と呼ばれる方式で血液を循環させます。これは、水道の水が途切れずに流れるように、一定の流量で血液を送り続ける仕組みです。このため、心臓の拍動による脈拍はほとんど感じられません。

連続流ポンプのポイント

  • 血液を一定の速さで連続的に送り出します。
  • 心臓のような拍動は生じません。
  • 機械制御によって安定した血流を保ちます。

この連続流を支えている重要な技術が、磁気浮上(MAGLEV)技術です。人工心臓の内部にある羽根車(ローター)は磁力によって宙に浮いた状態で回転します。

磁気浮上技術のメリット

  • 部品同士が触れないため、摩耗が起こりにくいです。
  • 血液に余計な力がかかりにくくなります。
  • 血栓や赤血球の損傷リスクを抑える効果が期待されています。

これらの仕組みにより、長期間の使用を前提とした人工心臓の設計が可能になっています。

世界初の退院が示した意味

2024年11月、シドニーの病院で重い心不全を抱えた男性にBiVACOR人工心臓が移植されました。患者は集中治療と経過観察を経て、2025年2月に人工心臓を装着したまま退院しています。人工心臓を付けた状態で自宅生活に戻った事例が公表されたのは、世界で初めてです。

この人工心臓は、心臓移植までの「つなぎ」として100日以上安定して機能しました。ドナー心臓が不足する現状において、人工心臓が患者の生活を支える期間を延ばせることを、臨床データとして示した点に大きな意義があります。

人工心臓が直面する課題

人工心臓技術が進歩する一方で、解決すべき課題も残されています。特に重要なのが、電源の確保と感染リスクです。

現在の主な課題

  • 電源の確保:バッテリー切れは生命に直結します。
  • 感染リスク:体外電源とつながるケーブル部分から細菌が侵入する可能性があります。
  • 長期使用への対応:数か月から年単位での安全性が求められます。

現在のBiVACORシステムでは、体外の電源装置からケーブルを通して電力を供給しています。この方式は実績がある一方、生活上の制約が残ります。

課題解決に向けた研究

  • 体外から電力を送るワイヤレス給電技術
  • 体の動きから電気を生み出す自己発電技術

これらの研究が進めば、人工心臓の安全性と生活の自由度は大きく向上します。

医療テクノロジーとの広がり

人工心臓は、他の医療テクノロジーとも密接に関係しています。心臓の状態を常時監視するセンサーや、データを活用した遠隔医療と組み合わせることで、異常を早期に検知し、医師が離れた場所から判断することも可能になります。このような技術の連携は、人工心臓に限らず、医療全体のデジタル化を後押ししています。

まとめ
  • BiVACORはチタン製の全置換型人工心臓で、小型かつシンプルな構造が特徴
  • 連続流ポンプと磁気浮上技術により、脈がない状態で血液を安定して循環させる
  • 世界で初めて、人工心臓を装着したまま退院した事例が報告された
  • 電源や感染対策が課題であり、ワイヤレス給電などの研究が進められている

BiVACOR人工心臓の登場は、「心臓が止まれば命は終わる」という従来の考え方に変化をもたらしています。将来、人工心臓がより一般的な医療機器になれば、重い心臓病を抱える人でも、学びや仕事、日常生活の選択肢を広げられる可能性があります。

一方で、高度な医療機器を誰がどのように利用できるのかという費用や倫理の問題も重要です。中高生や大学生にとって、人工心臓は医学だけでなく、工学、材料、情報、そして社会制度とも深く関わるテーマです。人工心臓の進化を、未来の医療や社会のあり方を考える入り口として捉えてみてください。