軍艦島を約50年前に実測調査 「名もなき設計・エンジニアたちの知恵と工夫」調査に携わった男性が語る 建物の安全の秘密 | TBS NEWS DIG
長崎県の沖合いにある端島、通称・軍艦島は、去年閉山から50年を迎えました。【写真で見る 軍艦島の閉山直後の様子など】良質な石炭がとれる軍艦島は1890年から海底炭坑として開発が進められ、岩礁の周りを埋め立…
崎県沖に浮かぶ軍艦島は、かつて炭鉱として活用されていた人工の島です。この島は、日本初の鉄筋コンクリートアパートが建設された場所として、建築技術の進化を象徴しています。最盛期には約5300人が暮らし、限られた空間を最大限に活用する都市設計が行われました。
正式名称は「端島(はしま)」ですが、その形が日本の軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになりました。2015年には世界文化遺産に登録され、歴史的な価値が認められています。この島の建築技術や知恵は、現代の課題解決にも役立つヒントを提供します。
軍艦島が生まれた理由
19世紀末、石炭はエネルギー供給の中心であり、産業の発展に不可欠な資源でした。しかし、地上での採掘に限界があり、海底炭鉱として人工島を建設する必要がありました。この背景の中で誕生したのが軍艦島です。
この島は、炭鉱作業の効率を高めるだけでなく、働く人々とその家族が暮らす生活空間としての役割も果たしました。限られた土地で多くの人が快適に暮らせるように設計された島は、日本の技術力を示す象徴的な存在となりました。
軍艦島をGoogleストリートビューで歩いてみよう
今では廃墟となった軍艦島を、ストリートビューで歩き回れることができます。独特な建築をぜひ見てみてください。
"軍艦島”をストリートビューで歩いてみよう
Google では、本日より長崎県長崎市高島町端島のストリートビューを公開します。今日、公開する端島は、もしかすると「軍艦島」という名前でご存知の方が多いかもしれません。戦艦「土佐」に似ていることからつけられた俗称だそうですが、端島は、長崎港から 19 キロの海上にある小さな半人工島です。1870 年から炭鉱開発が始まり、日本の近代化を…
軍艦島の建築技術
軍艦島の建築には、自然環境や資源の制約に対応するためのさまざまな工夫が取り入れられています。
- 防潮扉と排水システム: 海からの波や雨水を効率よく処理して建物を守る仕組み。
- 鉄筋コンクリート構造: 台風や火災などの自然災害から住民を守る強固な建築素材。
- 避難設計: 火災時に迅速に避難できるよう、二方向避難路を採用。
特に注目されるのは、世界でも早い段階で鉄筋コンクリート構造が採用されたことです。この技術は、木造建築に比べて耐久性が高く、火災や台風といった災害への強さが特徴です。また、建物の基礎部分には海水による腐食を防ぐ特殊な工法が使用されており、これが後の建築基準の進化に大きな影響を与えました。
調査とデジタル化の取り組み
軍艦島が閉山した1974年、東京電機大学を中心とした研究者たちが島を詳細に実測調査しました。建物の図面作成や模型制作を通じて、当時の技術や設計思想が記録されました。
現在では、これらの調査資料がデジタル化され、研究者やエンジニアがアクセス可能になっています。このデータは、過去の知恵を学び、未来の技術を開発する上での貴重な資源となっています。
軍艦島から学ぶ教訓
軍艦島の歴史は、限られた資源と厳しい環境条件の中で生き抜くための知恵を教えてくれます。以下の点が現代にも活かされています。
- 限られた空間を効率的に利用する技術。
- 自然災害に対応するための防災設計の重要性。
- 持続可能な建築技術の追求とその応用。
まとめ
- 軍艦島は、日本の建築技術と都市設計の進化を学ぶ重要な場所です。
- 限られた資源に対応する知恵が、現代の課題解決に役立っています。
- デジタル化された資料は、次世代の研究や技術開発を支えます。
軍艦島から得られる教訓は、防災や効率的な空間利用にとどまりません。この歴史的な島は、今も私たちに新しい都市や建築のアイデアのインスピレーションを与えてくれるのではないでしょうか。